2020年12月2日水曜日

2020年10月第10回陰陽道史研究の会参加記

■ 第10回 陰陽道史研究の会参加記   木下 琢啓

 第10回陰陽道史研究の会は2020年10月4日に開催された。世界中で猛威を振るう新型コロナウイルス感染予防のため、今回はオンライン会議システム「ZOOM」を利用しての開催となった。 

 今回は『新 陰陽道叢書』の刊行開始にともない、前月に発刊された第1巻・古代にちなんで「古代陰陽道の新視点」をテーマに、細井浩志氏と水口幹記氏による発表があった。

 まず細井浩志氏は「陰陽道の定義について―『新陰陽道叢書第一巻古代』の成果による―」と題し、『新 陰陽道叢書』第1巻・古代篇に所収の論文で試みられた、新しい陰陽道の定義と成立時期の再考論について発表した。

 まず先行研究における定義と成立期の確認があり、細井氏は村山修一氏による成立説の問題点と、山下克明氏による成立説の妥当性と限界を示し、陰陽道の定義と成立時期について再度捉えなおしが出来るのではないかと問題提起した。

 そこで細井氏は民間で雑多な信仰を担った「法師陰陽師」と呼ばれる存在が陰陽道の新しい定義を考えるうえでの重要なポイントであると注目。初期陰陽道には確固とした「正統な術」がなく、また法師陰陽師も貴族に奉仕している事から、初期の段階では朝廷陰陽師(官人陰陽師)以外の術士も「陰陽師」であり、彼らの取り扱う占術・呪術も「陰陽道」と認識されていたのではないか、とした。

  これまでの陰陽道研究は朝廷と民間とを区分して研究されがちであったが、今回の細井氏による研究成果は陰陽道独特の多様性と可変性を重視し、「陰陽道」の語自体の裾野を広げる事によって定義と成立時期を再検討した、意欲的かつ革新的な内容であった。

そして最後に細井氏は、この研究成果が試論である事を強調され、今後より多くの研究者によって定義論や成立期等の基礎的研究が深化していく事に期待をしている、という言葉をもって発表を終えた。

 質疑応答では、細井氏の比定する陰陽道成立時期についての質問や、呪禁を陰陽師の呼称範囲に入るか否かについての質問で白熱した。

 水口幹記氏は「<術数文化>という可能性について―「陰陽道」との関係を中心に―」と題して、術数文化という分野からの古代陰陽道へのアプローチを試みられた。

 「術数(数術)」とは古代中国において数多の科学・技術・学問等、広範囲かつ多様な分野を指す語で、陰陽道が主に取り扱った天文・暦・占術なども、この「術数」数えられる。水口氏は今回、“術数から派生した文化”=術数文化として陰陽道を捉える事は可能かという問題を提示して、その解明を試みられた。

 まず術数の中でも特に陰陽道との関係が深い天文・暦算が中国ではどのようにして形成されたかについて、史料と共に時系列に概観。古代中国ではインド系の世襲一族や太史局役人と共に、呪術者であり、諸説にも通じた僧侶(密教僧)も天文学・暦算に関与し、発展に寄与していた事を説明した。

 次に日本で“宿曜道”形成の契機となった『符天暦』伝来に注目。宿曜経の日本伝播は“新しい術数の伝来”であるとし、術数文化は僧侶のもつ知識や呪力に付随するという特徴を示された。 

 その上で水口氏は、陰陽道は元来仏教(僧侶)に付随して展開された術数の一部が「仏教と決別した事」が成立の一契機になったのではないかと考察。そして陰陽道も宿曜道も共に術数を利用して成立・発展した<術数文化>の一形態であり、今後は術数文化研究において陰陽道研究は重要な役割を果たすであろうと話して発表を終えた。

 質疑応答では宿曜道成立に関する質問や、陰陽道が民間にも浸透していくように術数も民間に浸透していったのか等の質問が出た。

 最後に総合討議として発表者二氏に対して再度質疑応答と意見聴取が行われたが、陰陽道成立において仏教との関係だけでなく神祇官および神祇信仰との関わりが如何なるものであったかという問題、そして術数が同じく神祇へ浸透していたか否か等の質問が挙がり、発表者による回答があった。

 今会は『新陰陽道叢書』第一巻である古代篇の発刊に因んで、最新の研究を基にして陰陽道の定義や成立の捉えなおしを試みる、壮大かつ挑戦的な内容となった。さらに陰陽道研究からだけでなく術数研究という見地から改めて陰陽道を概観する好機にもなった。

 そして、これから順次発刊されていく『新陰陽道叢書』各巻が、今後の研究進展に大きく寄与するであろうと強く期待させてくれる会となった。