2019年4月12日金曜日

2019年3月第7回陰陽道史研究の会記録・参加記

第7回「陰陽道史研究の会」
日時:2019年3月9日(土) 10:50-17:45
場所:大東文化大学 大東文化会館 (東武練馬駅前)
テーマ:「近世/近代の民間宗教者と陰陽道」
10:50 開始
11:00-12:20 西田かほる「甲信地域の陰陽師」
昼休み
13:20-14:40 橋本鶴人 「陰陽師と習合家の争論」 
14:50-16:10 斎藤英喜 「折口信夫の「陰陽道」研究と近代神道  」
16:10-16:40 梅田千尋 コメント
16:50-17:45 討論・告知など

参加者24名

■第7回「陰陽道史研究の会」参加記  近藤絢音

 2019年3月9日(土)、大東文化大学大東文化会館にて第7回「陰陽道史研究の会」が開催された。今回の研究会では、「近世/近代の民間宗教者と陰陽道」をテーマとして、西田かほる氏・橋本鶴人氏・斎藤英喜氏による報告が行われた。司会は赤澤春彦氏が務められた。
 まず、西田氏による報告「甲信地域の陰陽師」では、近世の民間陰陽師について、陰陽師が居住した地域の特徴を把握することや、地域分布に着目した検討を行うことを目指し、甲斐国・信濃国の民間陰陽師の分布や時期による活動状況の変化、各陰陽師間での繋がりや対立の状況等が明らかにされた。甲斐国の民間陰陽師は、安永期までと天明期以降とでその様相が変化しており、天明期以降からは多様な身分の者が陰陽師職として活動するようになることや、取次を受けた他所からの入れ込みが目立つようになること、それに伴って取り締まり役も多様化すること等が指摘された。信濃国の民間陰陽師については、近世前期までに確認できる陰陽師はわずかであり他の芸能的宗教者と比較して数が少なかった可能性があること、東信・北信を中心として分布し組合を結成していたこと、また越後や尾張など他国との繋がりもあった可能性等も提示された。
 討論では、民間の宗教者が「陰陽師」と規定される際の基準や、陰陽師の活動実態がどのように認識されていたのか等について質問があり、議論が交わされた。
 次いで橋本氏の報告「陰陽師と習合家(神事舞太夫)の争論」が行われた。当該の報告では、陰陽師と神事舞太夫の集団間で起きた争論について、近世初期〜中期と近世後期とに時期を分け、構造的な把握が目指された。近世前期から中期にかけての争論では、陰陽師と習合家、またそのほか宗教者集団の家職内容が業務的に分化されておらず類似したものであったことが問題となった場合が多く、また唯一神道である天社神道を標榜する土御門家と習合神道に拠る習合家とが依拠する神道について争う争論の発生も特徴のひとつであるとされた。対して近世後期に起きた争論の場合は、占考をめぐっての争論や、民間信仰に伴う宗教行為をめぐる争論が多く、近世初期〜中期と後期とでは争論の構造に変化が生じていたことを指摘した。
 討論では、神事舞太夫の活動領域に関する質問や、神事舞太夫らの芸態の様相についての質問が挙げられた。
 斎藤氏の報告「折口信夫の「陰陽師/陰陽道」研究と近代神道史」では、折口信夫の「陰陽師・陰陽道」に関する論考を、現在までの陰陽道研究史の中における位置づけ、また大正期から昭和期の「神道」・「神社」をめぐる制度、言説の中での位置づけに着目して読み解いたものであった。折口は近代の「神道」を純然たるものではなく、陰陽師配下・修験・神事舞太夫等の出自の者も多いものであったと捉えており、大正期から昭和期にかけて「神道」が国家イデオロギーと結びつき、近代国家の中心に据えられていった動向と反する見解を示していたこと等が指摘された。
 討論では、折口が自身の論考で宗教者について述べる際に具体的には何を事例・想定していたのかといった点や、昭和初期と戦後では折口の論調に変化が生じるが神道論に関して変化はあるのかといった点について質問が挙げられた。
 以上の報告を踏まえ、梅田千尋氏によるコメントののち、総合討論が行われた。特に今回の研究会のテーマでもある「民間の宗教者と陰陽師」という点について、古代・中世までと近世では、「陰陽師」のイメージが大きく異なっており、いわゆる“民間陰陽師”について検討するにあたっては近世から扱っていくのが適切なのではないかという意見を皮切りとして、全時代を通じて見た際の、近世陰陽師・陰陽道の位置づけについて議論が交わされた。
 今回の報告では「民間の宗教者/陰陽師」という題目に関して、特に近世・近代における様相が示されたが、討論においては古代・中世の陰陽道・陰陽師を専門とする視点からの意見も投じられたことによって、通史的な観点から「民間の宗教者/陰陽師」について考える場が提供される機会となった。職能民としての中世陰陽師と近世の民間陰陽師には連続性があるのではないかという見解が挙がった一方で、やはり古代・中世の陰陽師と近世の民間陰陽師にはイメージの断絶があるとの見解もあり、陰陽師・陰陽道について通史的に扱う際に留意すべき側面が提示されたように思う。