2019年12月9日月曜日

講演・一日講座のお知らせ (R2.2.14 更新)

★講演と一日講座のご案内☆ <R2.2.14 更新>


※お知らせいたしました各講演、一日講座はいずれも盛会のうちに終了いたしました。

以下の通り、本会に参加されている各氏による講演および一日講座が開かれます。
お時間ございましたら、ぜひとも振るってご参加ください。

なお、一部既に定員に達した為に受付が終わったものもあります。告知が遅れ、申し訳ありません。


一日講座
    「続 幻の安倍晴明を追って~中国地方の陰陽師伝説」 講師:木下琢啓
中国地方には陰陽師安倍晴明の伝説が数多く残っています。その理由について、各地の伝説と講師の調査結果から紐解いていきたいと思います。

<詳細>
日時:令和2年(2020)1月11日(土)10:00~12:00
参加費:一般 2200円(会員は1650円)+教材費 40円
定員:10名(最低2名から開講します)
会場:中国新聞文化センター福山教室 福山市御門町3丁目2-13
   中国新聞福山文化会館3階・4階(受付:3階)
お問い合わせ:084-932-1362
URL:http://www.c-culture.jp/



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以下の講座は昨年開催されたものです。

京都府立図書館連続講座
     「陰陽師たちの京都~最近の陰陽道史研究から」 講師:梅田千尋
<詳細>
日時:12月15日(日)13:30~15:00
会場:京都府立図書館 3階 マルチメディア室
参加費:不要(無料)
定員:80名   
※事前申込不要、当日12:00から1階エントランスで整理券を配布します。
申し込み/お問い合わせ:京都府立図書館
FAX: 075-762-4653 メール: tosyokan-service@pref.kyoto.lg.jp )





アスニーセミナー
       「中世陰陽道と安倍晴明伝承」  講師:赤澤春彦 
平安時代に活躍した陰陽師安倍晴明。晴明の子孫たちはその後、どうなるのでしょうか。
晴明没後の陰陽師たちの歴史について、晴明伝承の形成を交えながら見ていきたいと思います。

<詳細>
日時:12月13日(金)14:00~16:00
会場:京都市生涯学習センター 京都アスニー 3階 第8研修室
※定員に達しましたので受付は既に終了しております。


ご注意:上記講座の詳細については各会場にお問い合わせください。当ブログのコメント
    ではご回答いたしかねます。ご了承ください。

2019年10月9日水曜日

トークショーのお知らせ

●トークショーのお知らせ●

下記の日程、場所にてトークショーが行われます。

このたび『いざなぎ流 祭文と儀礼』が法蔵館よ文庫化されました。その記念として、著者であり本会呼びかけ人のひとりでもある斎藤英喜氏と、同会でも発表経験があり、『牛頭天王信仰の中世』(法蔵館)の著者・鈴木耕太郎氏が登壇し、対談します。

参加費は無料ですが、事前に配布する整理券が必要です(席数に限りがあります)。
ご不明の点は、会場である丸善京都本店にお問い合わせください(予約可能)。


【詳細】

「祇園の牛頭天王は、神か仏か」 鈴木耕太郎 ✕ 斎藤英喜トークショー

明治以前まで八坂神社の祭神は牛頭天王と呼ばれていました。
さらに高知のいざなぎ流という民間陰陽師の祈祷の現場にも登場してきます。
京都と土佐を繋いで、明治以前の神仏分離以前の信仰世界を読み解いていきます。


●日時:2019年11月30日(土)  14:00開演(13:30開場)
●会場:丸善京都本店 地下2階 特設会場にて(先着30名)
●参加費無料 ※要整理券

<お問い合わせ先(予約連絡先)>  
 075-253-1599 (丸善京都本店)

<参考URL>

2019年9月28日土曜日

2019年9月第8回陰陽道史研究の会記録・参加記

2019年9月8日(日) 11:00-17:30
会場:佛教大学 紫野キャンパス 15号館1階ホール

テーマ:陰陽道と災異・怪異

11:00 開会
11:10-12:30 山口えり「日本古代の陰陽道と「理運」の思考」
12:30-13:30 昼休み
13:30-14:50 濱野未来「地震勘文からみる中世日本の地震認識」
15:00-16:20 木場貴俊「近世怪異認識と対応―陰陽道史研究との関係から」
16:30-17:30 総合討論

参加者30名


■第8回「陰陽道史研究の会」参加記    木下琢啓

 2019年秋季の例会となる第8回陰陽道史研究の会は9月8日(日)佛教大学で開かれた。「陰陽道と災異、怪異」というテーマのもと、山口えり氏、濱野未来氏、木場貴俊氏による発表が行われた。司会進行は赤澤春彦氏が担当した。なお、今回は東アジア恠異学会にも参加を呼びかけ、多くの参加者を得た。
 最初は山口えり氏が「日本古代の陰陽道と「理運」の思想」と題して、陰陽道関連史料を中心に各種史料中に登場する「理運」という語について調査・研究の成果を発表された。
 氏は、まず「理運」という語は元来「道理にかなった巡り合わせ」や「変革の因果関係」を説明する用語であったが、日本では道理や因果に関係なく「災異が起きる原因」(特に旱害・水害の原因)を説明する際に陰陽師が利用する独自の用語へと変化した事を説明。
 やがて「理運」は陰陽道の枠を超えて利用され始め、十世紀中葉になると陰陽寮と共に災因の特定にも参加するようになった神祇官の卜(うらない)にも登場し、十一世紀中葉に密教が陰陽道を積極的に吸収し始めると「理運」という語もまた密教の中に浸透したという。
 当初陰陽道で専ら使われた「理運」という語が「災害を発生させた原因」という普遍的な意味の語として神祇信仰や密教へも広がっていく様子から、それぞれが相互関係を強めていく過程も同時に読み取ることが出来る事を多様な史料を使って示された。質疑応答および意見の時間では、出典についてや文言についての質問が出た。

 次に演壇に立った濱野未来氏は「地震勘文から見る中世日本の地震認識」と題し、陰陽師とは密接な関係にある地震について、中世の陰陽師によって出された地震勘文を表現と構成の二面から分析していく事で、変容・変遷を検討した結果を発表した。
 まず濱野氏は陰陽道研究史において勘文の研究、特に観念的区分や編年的な研究が希薄である事と、陰陽道史以外からの災異勘文へのアプローチが行われてこなかった事を指摘し、改めて勘文の内容吟味の重要性を説明。そして中世より地震勘文に独自の表現が登場する所から、中世陰陽師は地震の吉凶・予兆の評価だけでなく、揺れ方や音などから地震の種類を特定するという「分類作業」を伴うようになった事が一つの特徴にある事を解き明かした。
 そして地震勘文上における揺れ方や音=地震動表現の記載位置にも注目し、その初見とされる中世初期には吉凶を図る一典拠程度だったものが、時代が進むにつれ、勘文本文の冒頭に記載されるようになった事から、地震動表現は重要な判断基準になっていたのではないかと結論した。質疑応答・意見としては、「地震発生」の基準についてや地震を理由とする改元について、宿曜僧の関与の有無についての質問が上がった。

 最後に木場貴俊氏は「近世怪異認識と対応―陰陽道史研究との関係から」というテーマで、近世における「怪異」への認識と対応についての考察を陰陽道の対応例にも注目しながら考察を発表した。
 氏はまず近世の陰陽師(土御門家)が怪異にどう対処していたかを史料を例示して説明。近世になると陰陽師の利用者層は無限定となっていき、公家だけではなく武家から町方・村方…と幅広く相談を受けるようになっており、内容も神社の神鏡落下から狐憑きに至るまで実に広範囲になったという。また民間では土御門家配下陰陽師達の活動の他、陰陽師の能力を特徴づける逸話や『大ざつしょ』をはじめとした諸々のまじない・吉凶判別法を記した書籍も普及しており、身分差や地域差を超えて需要のあった陰陽道の持つ対怪異の知識は商品化され、広まっていた事を明らかにした。
 その上で、近世社会では新しい立場からの怪異へのアプローチも試みられていた。法度によって怪異の基準を設定したり、怪異を学問的解釈(経験論や朱子学の理論)によって説明を試みる等、「非宗教的」見地から「怪異とは何か」という根本的問題に迫る人々も登場した時代でもあったという。
 これらの事から、近世は怪異認識と対応が多様化した事によって怪異への対応もまた様々な選択肢が併存していた事、さらに怪異自体が文芸作品や逸話で語られるようになっており、すなわち怪異が人智の及ばない「神秘的なもの」ではなく、人間の解釈によって如何様にも制御出来る存在になっていたのではないかと結論付けた。

 三氏の発表がすべて終わった後の総合的な質疑応答の時間では、各氏の研究発表に対する質問や意見開陳もさることながら、今会のテーマとして設定されていた「怪異」「災異」そのものについて議論が白熱した。特に「災異」の扱いについて、これがあくまで「怪異」の一つなのか、それとも怪異とは切り離して一つの変異と認識すべきか否か、発表者だけでなく参加者も盛んに質問や見解、持論を発表した。

 今回演壇に立った三氏は、「理運」という言葉や「地震時の“揺れ方”や“音”」、そして「怪異の解釈」という、いわば「表現」という視点から、多様性に富む陰陽道の一側面を明らかにする事に挑んだ力作揃いであった。斯道研究は一種特殊な内容のもの故、陰陽道そのものや、その従事者たる陰陽師の活動を研究の中心軸に置きがちになる。今回の三氏による発表は、その枠に嵌らない事で陰陽道の新しい側面を明らかにした、充実した内容であった。         
 

2019年4月12日金曜日

2019年3月第7回陰陽道史研究の会記録・参加記

第7回「陰陽道史研究の会」
日時:2019年3月9日(土) 10:50-17:45
場所:大東文化大学 大東文化会館 (東武練馬駅前)
テーマ:「近世/近代の民間宗教者と陰陽道」
10:50 開始
11:00-12:20 西田かほる「甲信地域の陰陽師」
昼休み
13:20-14:40 橋本鶴人 「陰陽師と習合家の争論」 
14:50-16:10 斎藤英喜 「折口信夫の「陰陽道」研究と近代神道  」
16:10-16:40 梅田千尋 コメント
16:50-17:45 討論・告知など

参加者24名

■第7回「陰陽道史研究の会」参加記  近藤絢音

 2019年3月9日(土)、大東文化大学大東文化会館にて第7回「陰陽道史研究の会」が開催された。今回の研究会では、「近世/近代の民間宗教者と陰陽道」をテーマとして、西田かほる氏・橋本鶴人氏・斎藤英喜氏による報告が行われた。司会は赤澤春彦氏が務められた。
 まず、西田氏による報告「甲信地域の陰陽師」では、近世の民間陰陽師について、陰陽師が居住した地域の特徴を把握することや、地域分布に着目した検討を行うことを目指し、甲斐国・信濃国の民間陰陽師の分布や時期による活動状況の変化、各陰陽師間での繋がりや対立の状況等が明らかにされた。甲斐国の民間陰陽師は、安永期までと天明期以降とでその様相が変化しており、天明期以降からは多様な身分の者が陰陽師職として活動するようになることや、取次を受けた他所からの入れ込みが目立つようになること、それに伴って取り締まり役も多様化すること等が指摘された。信濃国の民間陰陽師については、近世前期までに確認できる陰陽師はわずかであり他の芸能的宗教者と比較して数が少なかった可能性があること、東信・北信を中心として分布し組合を結成していたこと、また越後や尾張など他国との繋がりもあった可能性等も提示された。
 討論では、民間の宗教者が「陰陽師」と規定される際の基準や、陰陽師の活動実態がどのように認識されていたのか等について質問があり、議論が交わされた。
 次いで橋本氏の報告「陰陽師と習合家(神事舞太夫)の争論」が行われた。当該の報告では、陰陽師と神事舞太夫の集団間で起きた争論について、近世初期〜中期と近世後期とに時期を分け、構造的な把握が目指された。近世前期から中期にかけての争論では、陰陽師と習合家、またそのほか宗教者集団の家職内容が業務的に分化されておらず類似したものであったことが問題となった場合が多く、また唯一神道である天社神道を標榜する土御門家と習合神道に拠る習合家とが依拠する神道について争う争論の発生も特徴のひとつであるとされた。対して近世後期に起きた争論の場合は、占考をめぐっての争論や、民間信仰に伴う宗教行為をめぐる争論が多く、近世初期〜中期と後期とでは争論の構造に変化が生じていたことを指摘した。
 討論では、神事舞太夫の活動領域に関する質問や、神事舞太夫らの芸態の様相についての質問が挙げられた。
 斎藤氏の報告「折口信夫の「陰陽師/陰陽道」研究と近代神道史」では、折口信夫の「陰陽師・陰陽道」に関する論考を、現在までの陰陽道研究史の中における位置づけ、また大正期から昭和期の「神道」・「神社」をめぐる制度、言説の中での位置づけに着目して読み解いたものであった。折口は近代の「神道」を純然たるものではなく、陰陽師配下・修験・神事舞太夫等の出自の者も多いものであったと捉えており、大正期から昭和期にかけて「神道」が国家イデオロギーと結びつき、近代国家の中心に据えられていった動向と反する見解を示していたこと等が指摘された。
 討論では、折口が自身の論考で宗教者について述べる際に具体的には何を事例・想定していたのかといった点や、昭和初期と戦後では折口の論調に変化が生じるが神道論に関して変化はあるのかといった点について質問が挙げられた。
 以上の報告を踏まえ、梅田千尋氏によるコメントののち、総合討論が行われた。特に今回の研究会のテーマでもある「民間の宗教者と陰陽師」という点について、古代・中世までと近世では、「陰陽師」のイメージが大きく異なっており、いわゆる“民間陰陽師”について検討するにあたっては近世から扱っていくのが適切なのではないかという意見を皮切りとして、全時代を通じて見た際の、近世陰陽師・陰陽道の位置づけについて議論が交わされた。
 今回の報告では「民間の宗教者/陰陽師」という題目に関して、特に近世・近代における様相が示されたが、討論においては古代・中世の陰陽道・陰陽師を専門とする視点からの意見も投じられたことによって、通史的な観点から「民間の宗教者/陰陽師」について考える場が提供される機会となった。職能民としての中世陰陽師と近世の民間陰陽師には連続性があるのではないかという見解が挙がった一方で、やはり古代・中世の陰陽師と近世の民間陰陽師にはイメージの断絶があるとの見解もあり、陰陽師・陰陽道について通史的に扱う際に留意すべき側面が提示されたように思う。