2019年12月9日月曜日

講演・一日講座のお知らせ (R2.2.14 更新)

★講演と一日講座のご案内☆ <R2.2.14 更新>


※お知らせいたしました各講演、一日講座はいずれも盛会のうちに終了いたしました。

以下の通り、本会に参加されている各氏による講演および一日講座が開かれます。
お時間ございましたら、ぜひとも振るってご参加ください。

なお、一部既に定員に達した為に受付が終わったものもあります。告知が遅れ、申し訳ありません。


一日講座
    「続 幻の安倍晴明を追って~中国地方の陰陽師伝説」 講師:木下琢啓
中国地方には陰陽師安倍晴明の伝説が数多く残っています。その理由について、各地の伝説と講師の調査結果から紐解いていきたいと思います。

<詳細>
日時:令和2年(2020)1月11日(土)10:00~12:00
参加費:一般 2200円(会員は1650円)+教材費 40円
定員:10名(最低2名から開講します)
会場:中国新聞文化センター福山教室 福山市御門町3丁目2-13
   中国新聞福山文化会館3階・4階(受付:3階)
お問い合わせ:084-932-1362
URL:http://www.c-culture.jp/



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※以下の講座は昨年開催されたものです。

京都府立図書館連続講座
     「陰陽師たちの京都~最近の陰陽道史研究から」 講師:梅田千尋
<詳細>
日時:12月15日(日)13:30~15:00
会場:京都府立図書館 3階 マルチメディア室
参加費:不要(無料)
定員:80名   
※事前申込不要、当日12:00から1階エントランスで整理券を配布します。
申し込み/お問い合わせ:京都府立図書館
(FAX: 075-762-4653 メール: tosyokan-service@pref.kyoto.lg.jp )





アスニーセミナー
       「中世陰陽道と安倍晴明伝承」  講師:赤澤春彦 
平安時代に活躍した陰陽師安倍晴明。晴明の子孫たちはその後、どうなるのでしょうか。
晴明没後の陰陽師たちの歴史について、晴明伝承の形成を交えながら見ていきたいと思います。

<詳細>
日時:12月13日(金)14:00~16:00
会場:京都市生涯学習センター 京都アスニー 3階 第8研修室
※定員に達しましたので受付は既に終了しております。


ご注意:上記講座の詳細については各会場にお問い合わせください。当ブログのコメント
    ではご回答いたしかねます。ご了承ください。

2019年10月9日水曜日

トークショーのお知らせ

●トークショーのお知らせ●

下記の日程、場所にてトークショーが行われます。

このたび『いざなぎ流 祭文と儀礼』が法蔵館よ文庫化されました。その記念として、著者であり本会呼びかけ人のひとりでもある斎藤英喜氏と、同会でも発表経験があり、『牛頭天王信仰の中世』(法蔵館)の著者・鈴木耕太郎氏が登壇し、対談します。

参加費は無料ですが、事前に配布する整理券が必要です(席数に限りがあります)。
ご不明の点は、会場である丸善京都本店にお問い合わせください(予約可能)。


【詳細】

「祇園の牛頭天王は、神か仏か」 鈴木耕太郎 ✕ 斎藤英喜トークショー

明治以前まで八坂神社の祭神は牛頭天王と呼ばれていました。
さらに高知のいざなぎ流という民間陰陽師の祈祷の現場にも登場してきます。
京都と土佐を繋いで、明治以前の神仏分離以前の信仰世界を読み解いていきます。


●日時:2019年11月30日(土)  14:00開演(13:30開場)
●会場:丸善京都本店 地下2階 特設会場にて(先着30名)
●参加費無料 ※要整理券

<お問い合わせ先(予約連絡先)>  
 075-253-1599 (丸善京都本店)

<参考URL>

2019年9月28日土曜日

2019年9月第8回陰陽道史研究の会記録・参加記

2019年9月8日(日) 11:00-17:30
会場:佛教大学 紫野キャンパス 15号館1階ホール

テーマ:陰陽道と災異・怪異

11:00 開会
11:10-12:30 山口えり「日本古代の陰陽道と「理運」の思考」
12:30-13:30 昼休み
13:30-14:50 濱野未来「地震勘文からみる中世日本の地震認識」
15:00-16:20 木場貴俊「近世怪異認識と対応―陰陽道史研究との関係から」
16:30-17:30 総合討論

参加者30名


■第8回「陰陽道史研究の会」参加記    木下琢啓

 2019年秋季の例会となる第8回陰陽道史研究の会は9月8日(日)佛教大学で開かれた。「陰陽道と災異、怪異」というテーマのもと、山口えり氏、濱野未来氏、木場貴俊氏による発表が行われた。司会進行は赤澤春彦氏が担当した。なお、今回は東アジア恠異学会にも参加を呼びかけ、多くの参加者を得た。
 最初は山口えり氏が「日本古代の陰陽道と「理運」の思想」と題して、陰陽道関連史料を中心に各種史料中に登場する「理運」という語について調査・研究の成果を発表された。
 氏は、まず「理運」という語は元来「道理にかなった巡り合わせ」や「変革の因果関係」を説明する用語であったが、日本では道理や因果に関係なく「災異が起きる原因」(特に旱害・水害の原因)を説明する際に陰陽師が利用する独自の用語へと変化した事を説明。
 やがて「理運」は陰陽道の枠を超えて利用され始め、十世紀中葉になると陰陽寮と共に災因の特定にも参加するようになった神祇官の卜(うらない)にも登場し、十一世紀中葉に密教が陰陽道を積極的に吸収し始めると「理運」という語もまた密教の中に浸透したという。
 当初陰陽道で専ら使われた「理運」という語が「災害を発生させた原因」という普遍的な意味の語として神祇信仰や密教へも広がっていく様子から、それぞれが相互関係を強めていく過程も同時に読み取ることが出来る事を多様な史料を使って示された。質疑応答および意見の時間では、出典についてや文言についての質問が出た。

 次に演壇に立った濱野未来氏は「地震勘文から見る中世日本の地震認識」と題し、陰陽師とは密接な関係にある地震について、中世の陰陽師によって出された地震勘文を表現と構成の二面から分析していく事で、変容・変遷を検討した結果を発表した。
 まず濱野氏は陰陽道研究史において勘文の研究、特に観念的区分や編年的な研究が希薄である事と、陰陽道史以外からの災異勘文へのアプローチが行われてこなかった事を指摘し、改めて勘文の内容吟味の重要性を説明。そして中世より地震勘文に独自の表現が登場する所から、中世陰陽師は地震の吉凶・予兆の評価だけでなく、揺れ方や音などから地震の種類を特定するという「分類作業」を伴うようになった事が一つの特徴にある事を解き明かした。
 そして地震勘文上における揺れ方や音=地震動表現の記載位置にも注目し、その初見とされる中世初期には吉凶を図る一典拠程度だったものが、時代が進むにつれ、勘文本文の冒頭に記載されるようになった事から、地震動表現は重要な判断基準になっていたのではないかと結論した。質疑応答・意見としては、「地震発生」の基準についてや地震を理由とする改元について、宿曜僧の関与の有無についての質問が上がった。

 最後に木場貴俊氏は「近世怪異認識と対応―陰陽道史研究との関係から」というテーマで、近世における「怪異」への認識と対応についての考察を陰陽道の対応例にも注目しながら考察を発表した。
 氏はまず近世の陰陽師(土御門家)が怪異にどう対処していたかを史料を例示して説明。近世になると陰陽師の利用者層は無限定となっていき、公家だけではなく武家から町方・村方…と幅広く相談を受けるようになっており、内容も神社の神鏡落下から狐憑きに至るまで実に広範囲になったという。また民間では土御門家配下陰陽師達の活動の他、陰陽師の能力を特徴づける逸話や『大ざつしょ』をはじめとした諸々のまじない・吉凶判別法を記した書籍も普及しており、身分差や地域差を超えて需要のあった陰陽道の持つ対怪異の知識は商品化され、広まっていた事を明らかにした。
 その上で、近世社会では新しい立場からの怪異へのアプローチも試みられていた。法度によって怪異の基準を設定したり、怪異を学問的解釈(経験論や朱子学の理論)によって説明を試みる等、「非宗教的」見地から「怪異とは何か」という根本的問題に迫る人々も登場した時代でもあったという。
 これらの事から、近世は怪異認識と対応が多様化した事によって怪異への対応もまた様々な選択肢が併存していた事、さらに怪異自体が文芸作品や逸話で語られるようになっており、すなわち怪異が人智の及ばない「神秘的なもの」ではなく、人間の解釈によって如何様にも制御出来る存在になっていたのではないかと結論付けた。

 三氏の発表がすべて終わった後の総合的な質疑応答の時間では、各氏の研究発表に対する質問や意見開陳もさることながら、今会のテーマとして設定されていた「怪異」「災異」そのものについて議論が白熱した。特に「災異」の扱いについて、これがあくまで「怪異」の一つなのか、それとも怪異とは切り離して一つの変異と認識すべきか否か、発表者だけでなく参加者も盛んに質問や見解、持論を発表した。

 今回演壇に立った三氏は、「理運」という言葉や「地震時の“揺れ方”や“音”」、そして「怪異の解釈」という、いわば「表現」という視点から、多様性に富む陰陽道の一側面を明らかにする事に挑んだ力作揃いであった。斯道研究は一種特殊な内容のもの故、陰陽道そのものや、その従事者たる陰陽師の活動を研究の中心軸に置きがちになる。今回の三氏による発表は、その枠に嵌らない事で陰陽道の新しい側面を明らかにした、充実した内容であった。         
 

2019年4月12日金曜日

2019年3月第7回陰陽道史研究の会記録・参加記

第7回「陰陽道史研究の会」
日時:2019年3月9日(土) 10:50-17:45
場所:大東文化大学 大東文化会館 (東武練馬駅前)
テーマ:「近世/近代の民間宗教者と陰陽道」
10:50 開始
11:00-12:20 西田かほる「甲信地域の陰陽師」
昼休み
13:20-14:40 橋本鶴人 「陰陽師と習合家の争論」 
14:50-16:10 斎藤英喜 「折口信夫の「陰陽道」研究と近代神道  」
16:10-16:40 梅田千尋 コメント
16:50-17:45 討論・告知など

参加者24名

■第7回「陰陽道史研究の会」参加記  近藤絢音

 2019年3月9日(土)、大東文化大学大東文化会館にて第7回「陰陽道史研究の会」が開催された。今回の研究会では、「近世/近代の民間宗教者と陰陽道」をテーマとして、西田かほる氏・橋本鶴人氏・斎藤英喜氏による報告が行われた。司会は赤澤春彦氏が務められた。
 まず、西田氏による報告「甲信地域の陰陽師」では、近世の民間陰陽師について、陰陽師が居住した地域の特徴を把握することや、地域分布に着目した検討を行うことを目指し、甲斐国・信濃国の民間陰陽師の分布や時期による活動状況の変化、各陰陽師間での繋がりや対立の状況等が明らかにされた。甲斐国の民間陰陽師は、安永期までと天明期以降とでその様相が変化しており、天明期以降からは多様な身分の者が陰陽師職として活動するようになることや、取次を受けた他所からの入れ込みが目立つようになること、それに伴って取り締まり役も多様化すること等が指摘された。信濃国の民間陰陽師については、近世前期までに確認できる陰陽師はわずかであり他の芸能的宗教者と比較して数が少なかった可能性があること、東信・北信を中心として分布し組合を結成していたこと、また越後や尾張など他国との繋がりもあった可能性等も提示された。
 討論では、民間の宗教者が「陰陽師」と規定される際の基準や、陰陽師の活動実態がどのように認識されていたのか等について質問があり、議論が交わされた。
 次いで橋本氏の報告「陰陽師と習合家(神事舞太夫)の争論」が行われた。当該の報告では、陰陽師と神事舞太夫の集団間で起きた争論について、近世初期〜中期と近世後期とに時期を分け、構造的な把握が目指された。近世前期から中期にかけての争論では、陰陽師と習合家、またそのほか宗教者集団の家職内容が業務的に分化されておらず類似したものであったことが問題となった場合が多く、また唯一神道である天社神道を標榜する土御門家と習合神道に拠る習合家とが依拠する神道について争う争論の発生も特徴のひとつであるとされた。対して近世後期に起きた争論の場合は、占考をめぐっての争論や、民間信仰に伴う宗教行為をめぐる争論が多く、近世初期〜中期と後期とでは争論の構造に変化が生じていたことを指摘した。
 討論では、神事舞太夫の活動領域に関する質問や、神事舞太夫らの芸態の様相についての質問が挙げられた。
 斎藤氏の報告「折口信夫の「陰陽師/陰陽道」研究と近代神道史」では、折口信夫の「陰陽師・陰陽道」に関する論考を、現在までの陰陽道研究史の中における位置づけ、また大正期から昭和期の「神道」・「神社」をめぐる制度、言説の中での位置づけに着目して読み解いたものであった。折口は近代の「神道」を純然たるものではなく、陰陽師配下・修験・神事舞太夫等の出自の者も多いものであったと捉えており、大正期から昭和期にかけて「神道」が国家イデオロギーと結びつき、近代国家の中心に据えられていった動向と反する見解を示していたこと等が指摘された。
 討論では、折口が自身の論考で宗教者について述べる際に具体的には何を事例・想定していたのかといった点や、昭和初期と戦後では折口の論調に変化が生じるが神道論に関して変化はあるのかといった点について質問が挙げられた。
 以上の報告を踏まえ、梅田千尋氏によるコメントののち、総合討論が行われた。特に今回の研究会のテーマでもある「民間の宗教者と陰陽師」という点について、古代・中世までと近世では、「陰陽師」のイメージが大きく異なっており、いわゆる“民間陰陽師”について検討するにあたっては近世から扱っていくのが適切なのではないかという意見を皮切りとして、全時代を通じて見た際の、近世陰陽師・陰陽道の位置づけについて議論が交わされた。
 今回の報告では「民間の宗教者/陰陽師」という題目に関して、特に近世・近代における様相が示されたが、討論においては古代・中世の陰陽道・陰陽師を専門とする視点からの意見も投じられたことによって、通史的な観点から「民間の宗教者/陰陽師」について考える場が提供される機会となった。職能民としての中世陰陽師と近世の民間陰陽師には連続性があるのではないかという見解が挙がった一方で、やはり古代・中世の陰陽師と近世の民間陰陽師にはイメージの断絶があるとの見解もあり、陰陽師・陰陽道について通史的に扱う際に留意すべき側面が提示されたように思う。

2018年10月11日木曜日

2018年9月第6回陰陽道史研究の会記録・参加記

第6回陰陽道史研究の会

日時:2018年9月1日(土)   10:30-17:30  
場所:京都女子大学 J校舎
 
テーマ「安倍晴明像の再生産と変容」 

10:40-11:40 細井浩志氏「古代の晴明像の発生」
11:40-12:40 休憩 
12:40-13:40 赤澤春彦氏「中世の晴明像の再生産と変容」
13:45-14:45 梅田千尋氏「近世の晴明像の再生産と変容」   
14:50-15:50 小池淳一 氏「近代の晴明像の再生産と変容」
16:00ー17:15 質疑応答・討論
17:15-17:30 連絡事項など

参加者 31名

■参加記

第6回「陰陽道史研究の会」参加レポート  木下琢啓
 2018年(平成30年)9月1日、京都女子大学にて第6回「陰陽道史研究の会」が開かれた。今回は「安倍晴明像の再生産と変容」というテーマで、歴史上の実在人物である安倍晴明が、如何にして新しい“人格”と“プロフィール”を付加・獲得し、伝説化していったかについて、細井浩志氏(古代)、赤澤春彦氏(中世)、梅田千尋氏(近世)・小池淳一(民俗学)の各氏によって紐解かれていった。開会・閉会の挨拶は斎藤英喜氏が、各発表後と全発表後に設けられた質疑応答部分は林淳氏が司会を務められた。
 
 まず細井浩志氏は「古代の晴明像の発生―伝説の陰陽師の実態と転換期の陰陽道―」と題し、平安中期に実在した安倍晴明その人が如何なる出自・業績を持つ人物であったか、そして晴明自身の行動自体にも後の「伝説化」へとつながっていく一因があったのではないかという事を、各種の記録史料から読み解いた。
 陰陽師としても遅咲きであった晴明が何故陰陽道の中で台頭し得たか。それは師家である賀茂氏とのつながりを最大限に利用した事、また晴明自身による業績喧伝活動、そして長命であったこと等が関係しているのではないかという事であった。
 発表後の質疑応答では晴明が大成させたといわれている泰山府君祭と晴明との関係、太一式盤が安置されていたという仁寿殿で、果たして陰陽師は実際に太一式占を行ったのか、という質問が出され、議論がなされた。
 
 次いで「中世における安倍晴明像の再生産」と題し、赤澤春彦氏が登壇した。
 12~13世紀に集中して創造された晴明説話は、当初は超人的な能力を持つという事を強調するような内容ではなかったが、やがて仏教の影響をうけて次第に超人的な晴明像へと変貌していった事、また晴明五代後の子孫である安倍泰親が積極的に晴明の名を利用して、安倍氏が正当な陰陽道を受け継ぐ氏族であるという宣伝材料に使っていた事を史料より読み解いた。
 発表後の質疑応答では、晴明が陰陽道の代表格として取り上げられるようになったタイミングについての質問や、泰山府君祭の意義変化に対する発表者の意見などが求められた。

 近世担当の梅田千尋氏は「近世の晴明像の再生産と変容」と題し、近世陰陽道組織による晴明像の形成についての研究発表となった。
 近世、陰陽道支配権を獲得した安倍氏土御門家は、おおよそ50年ごとに「晴明霊社祭」を斎行するようになった。遺された記録を見ると、同家はこの祭を利用して元晴明邸宅地取得の試行、晴明所縁の地設定、さらに参拝者に霊宝を公開するなどの興行的要素を持ち、対外的宣伝活動の場に利用していた事がわかるという。そしてなによりも、配下の陰陽師に対しては祭の費用徴収や、講を組織しての土御門殿への参拝を指示する事で、本所である土御門家と配下の陰陽師からなる陰陽道組織の関係確認と連携強化の場でもあったという事であった。
 発表後は主に感想が述べられ、晴明霊社祭開催に渋川春海の尽力があった事や、「福寿講」寄進の井戸が未だ土御門家菩提寺・梅林寺に遺されているという情報が提供された。

 最後に、小池淳一氏が民俗学の視点から「晴明像の再生産」の考察を発表した。「近代」だけにとどまらず、「現代」における晴明像の再生産をも包括した内容の発表であった。
 氏はまず「セーマン、セーメー」「ドーマン」を最初に取り上げ、何故その呪符が晴明を連想させるものとなったか、そして呪力の喧伝にはいかなる歴史があったか。「晴明」という語が持つ力の淵源と流布については、更なる研究が積み重ねられなければならないと課題を提起した。
 次に晴明と狐との関わりについて。晴明伝説の中では狐よりも少年期の晴明が主人公である事に注目。少年晴明の冒険譚は現代における晴明像が「美貌の青年」という見た目になっている根源にではないか、と指摘した。
 締めくくりに、現代の晴明像として夢枕獏『陰陽師』シリーズを例示した。同作は中世以降に流布した晴明伝説とは異なり、神聖性も史実性もない。しかし、「若さ」と「逸脱」という自由なイメージで描かれた晴明像は現代社会に見事にフィットし、理想的な晴明像として受け入れられた。我々は「現代の晴明伝説」創造の現場にいる目撃者なのかもしれない、という事で話を終えられた。
 質疑応答では、現代における晴明ブームは「世相への不安」を癒す存在として求められたのではないかといった意見が出された。

 最後に各発表の後、発表者間での質疑応答があり、安倍晴明は本来賀茂保憲の弟子であったにもかかわらず、何故説話では保憲の父・忠行の弟子として登場するのかといった質問や、安倍泰親に関する質問、密教修法が陰陽道祭祀に与えた影響と時代変遷に伴う変化などを巡って質疑応答・意見交換が行われ、本会は終了となった。

 「陰陽道史研究の会」も今回で第6回を迎えた。会への参加者も、陰陽道の研究者だけではなく、古典文学や災害史・芸能史研究者など他分野の研究者も聴講に来られるようになり、斯道研究分野もようやく広い認識が得られるようになった事を実感した。
 また会の内容や質疑応答も、回を追うごとに洗練され、厚みを増して来た。会の今後の発展を期待する。

2018年4月2日月曜日

2018年3月第5回陰陽道史研究の会記録・参加記

日時:2018年3月17日(土)  
場所:大東文化会館 開催

テーマ「古代陰陽道の実践と環境」
11:00-12:30 宮崎真由「古代における陰陽道祭祀成立の背景」
13:30-15:00 中村航太郎「古代陰陽師の「相地」考――その職能と展開――」
15:10-16:40 山下克明「古代の出土資料と陰陽道の周辺 ―呪符木簡・墨書土器をめぐって―」
16:50-17:45 討論・告知など

参加者26名

■参加記
第5回「陰陽道史研究の会」参加レポート  山口 啄実

2018年3月17日、大東文化会館において第五回陰陽道史研究の会が開催された。
今回は「古代陰陽道の実践と環境」をテーマに、宮崎真由・中村航太郎・山下克明各氏による研究報告が行われた。
まず宮崎報告は「古代における陰陽道祭祀成立の背景」と題し、先行研究では未だ検討の余地がある、陰陽道祭祀の各祭祀の成立~展開について、特徴的な祭祀の事例を検討したものである。とりわけ社会的/政治的背景と陰陽寮官人の活動を関連付けて祭祀成立の過程を検討し、祭祀の違いと成立期に、陰陽寮官人や為政者の関与があるのではと想定した。本論では、貞観年間初期に登場する鬼気(きけ)祭について、関連する四角四堺(しかくしきょう)祭と共に検討しており、結論で成立背景に藤原良房・春澄善縄・滋岳川人らの関与があったこと、名称は異なるが四角四堺祭と性質が同じであることを明らかにした。あわせて奈良~平安期の陰陽寮官人の補任状況を検討し、博士経験者が陰陽頭になる貞観年間初期から陰陽道祭祀の初見が多く確認できることも指摘しており、陰陽道祭祀成立の画期を貞観年間初期に見出している。今後の展望や課題として、後冷泉天皇期に賀安両家が陰陽頭を独占したことで陰陽道祭祀が再び変化した可能性、国家祭祀と個人祈禱の線引きの再確認、政治史など別分野からの検討の必要性が述べられた。
報告後の質疑応答では、まず先行研究における陰陽道祭祀の分類について、祭神不明の祭祀や目的が変化する祭祀をどう分類するかという質問や、通時代的に祭祀の性格を追うべきとの指摘がされた。また鬼気祭の典拠となった「董仲舒(とうちゅうじょ)祭法」について、董仲舒に仮託した雑記書の可能性が指摘された。ほかに八世紀から九世紀中ごろの陰陽寮官人が謀反に関与した事件が律令官制全体に及ぼした影響や、その時期と筆者が注目した九世紀中ごろから十一世紀中ごろの時期との関係についてなどの質問がなされた。
続いて中村氏は「古代陰陽師の「相地(そうち)」考―その職能と展開―」と題し、陰陽道職能を形成する知識がいかに受容・伝習・修得されたのか、その実践においてどう扱われたか、という問題意識のもと、相地という職掌の役割について検討した。相地とは、都城や山陵の建造に際して土地の吉凶を占うもので、都城制の導入は律令国家にとって必須であり、都城の正当性を思想的に保証し権威づける役割もあった。まさにこの点において、陰陽師の相地という職掌への要請は大きかった。ただし、平城京や平安京造営時点での相地に関わる「四神相応」について、従来四神と地形を関連付ける山川道澤説で説明されてきたが、都城造営期は四方を正確に測定し、それに基づいて四方が整っている状態を指す用語であった。十三世紀初頭ごろに山川道澤説が確立・普及しており、時代が下り知識が変容しながら普及している様子が分かる。ではそもそも、相地の知識はどのように日本に伝来したのか。報告者は陰陽道職能が「南朝―朝鮮半島―日本」という「南朝文化圏」ルートを経由して伝播・受容されたことから相地も同様のルートであったと指摘する。その源流ともいえる中国の相地について、敦煌写本の記述をもとに、宅経類に記される相宅相墓術に注目することでさらなる分析が見込めることを指摘した。さらに敦煌写本に記述がある「陰陽師」と日本の陰陽師との関連など、中国思想と陰陽道の関係を典籍の伝来・展開など具体的な考証をもとに再考する必要性を述べた。
質疑応答では、中国の周礼などに、都城を設けるとき四方をあわせる記述があることから、相地とは建設・建築を実際にする時に行うものであることが指摘され、都城建設前に相地を行う意味はあるのか、という重要な指摘がなされた。
三人目の山下氏は「古代の出土資料と陰陽道の周辺―呪符木簡・墨書土器をめぐって―」と題し、陰陽道そのものでなく、古代の生活や信仰を伝える呪符木簡と墨書土器を扱った。呪符は陰陽道祭祀でも用いられるが、すでに七世紀前半からみられるもので、陰陽寮に先行して畿内から地方へと伝播していた。いわば陰陽道を相対化する視点としてこれらを取り上げている。まず古代中国では、鬼神の害から身を守るため、呪符を建物の四隅に貼り付けた。呪符には北斗七星などの星神や鬼神を鎮圧する山や日、弓などが記され、時代が下ると道教の三清などが記された。古代日本に伝来すると中国文化の影響を受けた多様な呪符が登場するが、なかには道蔵経典と異なる中国の民間信仰由来の呪符や独自の星宿信仰(紫微宮など)に基づく木簡も展開した。具体的には、禳災を祈願する天罡木簡には、平安後期以降、物忌・牛頭天王・蘇民将来が加えられるなど、諸要素が重層化していった。
質疑応答では、千葉県袖ケ浦市西原遺跡出土の九世紀後半の呪符木簡に関連し、古代東国に置かれた陰陽師の意義が問われたほか、「天中節」の呪符や赤舌日など、中国と日本で異なる風習や、呪符と仏教・修験の関連などが質問された。
全報告終了後の討論では、陰陽道祭祀(呪術)について議論された。山下氏は五行家の鎮祭(律令に限定されない)が奈良時代以降継承された可能性や、陰陽道成立のメルクマールに呪術があったこと、呪術という視点から中近世まで見通すことが出来ることを指摘した。他の指摘では、祭神から見た場合、仏教との関わりで独自性が高まること、偽経が国家に影響を与え、陰陽寮に限定されず社会的に陰陽道が受容されることが述べられた。また相地について、朝鮮の史書に事例があるか、呪符木簡について朝鮮と日本で共通性があるため、朝鮮経由で知の伝播がなされたことにより注目すべきこと、などが指摘された。あわせて、ベトナムの事例も紹介され、東アジア/東南アジア全体への中国思想の伝播を考えるべきとの指摘がなされた。
全体を通して、今回の研究会では古代中国の思想や民間信仰と、古代日本における祭祀・相地・呪術の独自展開という二点が注目されていたと感じられた。ただし、相地に関する指摘を踏まえると、源流となった古代中国や、伝播途上の朝鮮半島の段階で、すでに思想・技術の変容がなされていた可能性も考えられる。今後は史書や典籍、出土遺物などから、これらの変化をさらに細かく検討する必要があるだろう。

2017年10月11日水曜日

2017年9月第4回陰陽道史研究の会記録・参加記

日時:2017年9月10日(日)  10:45~17:45    (懇親会18:30~)
場所:京都女子大学 J校舎302教室 (下記交通案内参照のこと)

テーマ:「中近世陰陽道の展開」
10:45-12:00 鈴木耕太郎氏「暦神・牛頭天王とその信仰」
12:00-13:00 昼休み
13:00-14:15  星優也氏「『妙覚心地祭文』の宗教世界―冥道・陰陽師・弘法大師―」
14:20-15:35  野口飛香留氏「南北朝期公家社会と官人陰陽師」
15:40-16:25 詫間直樹氏「近世の行幸・御幸と反閇」
 共通討論 16:30-17:40

参加者 28名

■参加記
第4回「陰陽道史研究の会」 参加レポート
木下 琢啓

2017年9月10日、京都女子大学において第4回「陰陽道史研究の会」が催行された。
今回は「中近世陰陽道の展開」をテーマに、鈴木耕太郎氏・星 優也氏・野口飛香留氏・詫間直樹氏の4人の研究者による発表が行われた。
まず鈴木氏は「暦神・牛頭天王とその信仰」と題し、『簠簋(ホキ)内伝金烏玉兎集』巻一に記される牛頭天王由来譚は、既存(祇園社祭神として)の牛頭天王神話が“読み替え”によって変貌した「新しい神話」(中世神話)であるとし、同譚は「暦と方位の神話」と解され、牛頭天王も暦神という一面を持つに至ったと指摘した。また『簠簋内伝』が由来譚と暦注部と一体である「暦注書」である事や、牛頭天王に対する信仰が密教や陰陽道(特に泰山府君)を超克するだけの影響力を持っていたのではないかという示唆もなされた。
牛頭天王由来譚を“読み替え”という特徴を持つ中世神話の視点から理解する事で、『簠簋内伝』を作り上げた非陰陽寮官人達の信仰世界が中世陰陽道の一端を担う存在にまで高められていた事を明らかにする意欲的な発表であった。
次いで星氏による「『妙覚心地祭文』の宗教世界―冥道・陰陽道・弘法大師―」では、伝・弘法大師作とされている『妙覚心地祭文』の中で、冥道・星宿への帰依に陰陽師の存在が必要であったと記されているという氏の理解を基にして、冥道・星宿の祭祀者としての陰陽師の重要性と、密教世界の中に陰陽道の思想・信仰がいかに深く吸収・浸透されていたかについて論じられた。ただ、密教には占星術を修めた宿曜僧がおり、冥道諸神や星辰への信仰が独自に存在する。彼らの存在がありながら陰陽師を必要不可欠とし得るのか、また同祭文における「陰陽師」は「陰陽ノ師」とも読むことが出来る所から、これが果たして陰陽道を奉じる者である所の陰陽師を指すのかという疑問が残り、今後の研究深化が期待される。
野口氏の「南北朝期公家社会と官人陰陽師 ―北朝との関係を中心に―」。中世、特に室町期に活躍する事となる陰陽師達の背景に、南北朝動乱期において持明院統と北朝側への積極的な奉仕が大きく関係している事、そして当時陰陽寮官人氏族の主流となっていた賀茂・安倍両氏内部での勢力争いの激化を取り上げて、中世陰陽道を支える事となった陰陽師達の「栄達の鍵」が混乱期における活動にかかっていた事を、諸史料提示のもと説かれた。個人的に、陰陽師社会中における序列(特に「陰陽道第一者」の呼称)について興味を持っている身として、大きな関心を持って拝聴した。
最後に詫間氏が「近世の行幸・御幸と反閇」と題され、江戸幕府による朝廷支配や財政的逼迫などの問題を抱えながらも、天皇の行幸・御幸といった移動時に行われる反閇作法が原則的に行われており、近世においてもなお朝廷儀礼の中で陰陽師の活動が欠かせないものであった事を示された。また反閇は必ず陰陽頭が行う事も踏襲され、条件により簡略化される事もあったが、近世まで陰陽道儀式の威儀は守られ、必要とされ続けた事を丁寧に説明された。
各自発表の後、参加者ひとりひとりの自己紹介があり、共通討論へ移った。質問では、まず中世陰陽道に関する各発表者に対して、鎌倉から南北朝を経て室町へと移りゆく中世の中で陰陽道がどのような位置づけにあったかについて問われた他、中世には『暦林問答集』など陰陽寮官人の手による著書が出されている中で、非陰陽寮官人の作と思われる『簠簋内伝』はどう関わりをもったか、という質問や、吉田神道との関わりについての質問・感想が出された。詫間氏発表に関するものでは、近世陰陽道を一つのまとまりとして捉えてよいのか、時期ごとに区分する必要があるのかといった質問が出され、活発な議論が展開された。