2022年6月2日木曜日

2022年4月第13回 陰陽道史研究の会 参加記



2022年4月第13回 陰陽道史研究の会 参加記 木下琢啓

 第13回「陰陽道史研究の会」は4月3日、オンライン会議システムZOOMを使って開催された。今回は、「「簠簋(ホキ)内伝」をめぐる諸問題」と題し、中近世陰陽道史研究の焦点ともいえる『簠簋内伝金烏玉兎集』および、その中で展開される諸説話に関する研究成果の発表となった。これは、『新陰陽道叢書』第4巻民俗・説話篇のテーマとも関わる。今回は小池淳一氏、馬場真理子氏、鈴木耕太郎氏の3名が発表した。

司会の斎藤英喜氏より趣旨説明の後、小池淳一氏が『中世末期東国における「簠簋」の意義―書誌と構成から―』と題して、福島県会津地方で発見された「簠簋」伝本を中心に中世末の東国で同書が果たした意義について発表した。書写された年次が明らかな「簠簋」写本のうち中村璋八『日本陰陽道書の研究』では未検討であった写本を含む諸本について、研究状況・特徴などを解説した。結果、これらの写本が東国における真言宗の拠点寺院に流通している事を指摘。陰陽師が管理しない場での「陰陽道知識」の集約を示す重要な典籍として位置付けた。発表後の質疑応答では、仏教における暦注の受容状況から、本研究は陰陽道の展開ではなく暦の展開として捉えるべきではないかという指摘や、後世に起きる仏教の天文学学習活動(梵暦運動)への影響についての質問が挙がった。

 馬場真理子氏による「大雑書における方位神の語り―『簠簋内伝』との関わりを中心に」では、記号的存在であった方位神への認識が、「簠簋」に収められた牛頭天王神話により変化していく様子を、“正当な暦道の言説”と言える『暦林問答集』と、近世庶民層を中心に広く読まれた「大雑書」を通して考察した。「大雑書」が「簠簋」の世界観を受容した度合いが時代と共に変化したことを跡づけた。最後に馬場氏は方位神の視覚イメージについて試論を示した後、総括として多少の差異があれ、方位神の姿や性格を記した「簠簋」の存在は「大雑書」にとって不可欠であったと結んだ。質疑応答では「大雑書」編者を発表者はどう考えるか、という質問や、八将神像の持物について意見が出されていた。

 鈴木耕太郎氏は「『簠簋内伝』諸本比較から考える― 巻一を中心に ―」として、「簠簋」の巻一に所収される牛頭天王の物語と暦注部の構成が、伝来する写本で異なる事に焦点を当て、特に内容に差異がある『群書類従』所収本と天理大学付属図書館所蔵「揚憲本」を比較した。氏は場面ごとに内容を比較し、相違点と特徴を明らかにした上で、各版における牛頭天王の物語描写と同巻中に収められる暦注の記述との深い関係を指摘した。そして、今後の検証により各版の作成者と受容層を知りうるという展望を示した。最後に今後の課題として、巻一だけでなく巻二以降の暦注部の異同の確認、他の写本の内容の調査、さらに中部・西日本での「簠簋」の広がりの有無について調査検討する必要性を提示した。

 三名の発表の後、山下克明氏が締めくくりとして「簠簋」研究における今後の課題についてまとめた。その中で氏は長らく議論されている「簠簋」成立の諸経緯(成立時期や作者、典拠)および位置付けと社会的影響、暦道を司った賀茂氏が「簠簋」をどう捉えていたか、といった各問題を再度明確化して提示、更なる研究深化の必要性を確認した。

 最後に総合質疑が行われ、特に馬場氏の発表にあった「大雑書」の編者にまつわる質疑や感想があがり、「大雑書」の編者が土御門家門人と交流のあった人物の可能性が指摘された他、鈴木氏の発表に関連した牛頭天王説話や晴明説話についての質問が出され、議論が交わされた。            

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