日時:2024年10月19日(土)~20日(日)
1日目 午前~昼過ぎ 福井県立若狭歴史博物館を自由見学
若狭歴史博物館では陰陽道の歴史をテーマに通史を扱っていました。今回が初披露となる南都陰陽師、中尾家が所有していた祭壇や神棚が展示され、その他にも名田庄の陰陽師であった西家の許状など、民間の陰陽師を考える上で興味深い史料が展示されていました。
午後2時~4時過ぎまで研究発表が行われ、木下琢啓氏が「近代陰陽道(土御門神道)復興過程の調査」、平陽介氏が「心経会における陰陽道と陰陽師について」をテーマにお話しいただきました。報告についてはそれぞれの報告要旨(下記)をご参照ください。
参加者は各自路線バス(流星号)や自家用車でおおい町名田庄、白矢の集落に集合後、天社土御門神道本庁に御挨拶しお話を拝聴しました。天壇、泰山府君社跡などを見学後、土御門家墓所や加茂神社を巡検。各地点では木下氏や梅田千尋氏が解説し参加者は理解を深めました。白矢での巡検は全体で1時間程でした。その後、白矢から暦会館へ移動し館内の見学を行いました。暦会館学芸員の山田虹太郎氏による展示解説、映像による館内の概要説明、また山田氏所蔵の暦や占いの解説書である大雑書コレクションを閲覧しました。暦会館では谷川左近家所蔵の土御門久脩天変勘文案、土御門泰重漢詩、都状、許状などが展示されていたほか、陰陽師が作成に携わっていた暦について版木や大小暦が展示され、明治の改暦以降の引き札暦から現代の生活に身近なカレンダーになるまでの品を見る事が出来ました。
12時に暦会館からチャーターバスや自家用車で移動し、おおい町の道の駅うみんぴあ大飯で昼食、その後おおい町立郷土史料館に向かいました。おおい町郷土資料館では、主に福井県に伝わっている晴明伝承に関する展示となっていました。
本来であれば、同館で斎藤英喜氏による講演会が企画されており、参加者は聴講する予定でいましたが、9月4日に同氏が逝去されたため、館内の自由見学のみとなりました。
(文責:鈴木耕太郎・山田虹太郎・梅田千尋)
【報告要旨】
*平陽介「心経会における陰陽道と陰陽師について」
まず心経会と陰陽師の関係についてだが、大和国の興福寺と法隆寺、そして豊前国の宇佐宮と薦社の心経会に陰陽師が深く関わっていた。四事例ではいずれも行疫神が祀られていたと考えられる。また興福寺と宇佐宮は全く別の地域に所在するにもかかわらず、陰陽師の役割は両事例とも神前で祭文・祝詞を読誦することであった。以上二つの共通点から、心経会に陰陽師が関与した理由は、疫神祭祀を担うためであったと考えられる。
次に心経会と陰陽道の関係についてだが、心経会史料の一部には陰陽道と縁の深い行疫神に関する記述が散見されるものがある。高野山大学図書館所蔵の『心経会法則』は心経会に際してカンジョウナワと灌頂板が作成されていたことを裏付ける興味深い史料であり、同書の敬白文や灌頂板書次第には天刑星や牛頭天王といった行疫神の名称が確認できる。前述したように心経会と疫神祭祀は深く関わっており、行疫神に対して祈りを捧げることで、除疫や防疫を祈願したと考えられる。なおカンジョウナワと灌頂板を伴う心経会は、佐渡島に点在する複数の寺社で実際に行われていたようである。
陰陽師が心経会に関わる理由も、行疫神が心経会で重視される理由も、除疫や防疫を目的に心経会が行われていたことに求められる。(文責:平陽介)
木下琢啓「近代陰陽道(土御門神道)復興過程の調査」
木下は「近代陰陽道(土御門神道)復興過程の調査」と題し、ライフワークとして取り組んでいる、明治三年閏十月に発令された「天社禁止令」、いわゆる陰陽道禁止令以後の土御門家と“元”配下陰陽師たち動向と土御門神道存続を如何に図ったかについての調査報告を、写真資料を多数用いておこなった。
禁止令による土御門家の陰陽道宗家地位喪失は、同時に全国の配下が「陰陽師」の職を失う事でもあった。長年「本所」土御門家に属す配下陰陽師として諸々の特権を許されていた彼らは一転困窮し、土御門家へその実状を訴える。そこで若杉家など土御門家旧家臣たちは、新時代に即した陰陽師の形を模索。まず管理機関として「陰陽道取締本所」を置き、近代的教育システムである学校制度を使って、陰陽師を占い師であると同時に倫理規範の遵守者として育成する機関「易学講究所」の創立構想を計画していた事を、若杉家文書に残る各資料から紹介した。
土御門家旧家臣による各構想は土御門家当主
土御門晴栄の離脱で頓挫するも、陰陽道復興の機運は別の形で残り、「高嶋易断」の高嶋嘉右衛門も陰陽寮再興を訴えた。当の土御門家は陰陽道再興を近畿地方の歴代組陰陽師の子孫、さらに縁戚の三室戸家を経由して社団法人大日本陰陽会に託し、歴代組陰陽師は「土御門神道同門会」へと発展、大日本陰陽会は土御門家の奉祀する天社宮護持に寄与する事で戦後の土御門神道の復興までを切り抜けた。氏はその経緯も貴重資料を示して紹介した。
最後に、戦後から現在に至るまでの土御門神道の沿革、さらに将来に陰陽道の伝統を継承する土御門神道をどう遺していくかについても問う形で発表を締めくくった。(文責:木下琢啓)