2022年10月28日金曜日

2022年10月第14回研究会 参加記

 第14回 陰陽道史研究の会 参加レポート

木下琢啓

 第14回「陰陽道史研究の会」は10月2日、オンラインによって開催された。今回は「古代~中世の暦と暦道」と題し、陰陽道と切り離す事の出来ない暦と暦道がテーマとなった。発表者は吉田拓矢氏と湯浅吉美氏、総括コメンテーターは細井浩志氏が務めた。

 最初に吉田拓矢氏が「日本古代における暦算と争論―暦道・宿曜道・算道―」と題して研究成果を報告した。本報告では,暦日・日月蝕に関する争論を具体的に分析することで,暦道内部および宿曜道・算道それぞれの暦算に係わる技能や姿勢を考察した。

10世紀の争論は,正権暦博士の間で起きたものであり,これまでは〈会昌革派の大春日氏―宣明暦派の葛木・賀茂両氏〉という対立構図で捉えられてきた。しかしながら,会昌革に依拠したと称する大春日氏の主張が,じつは宣明暦計算と合致している。会昌革は宣明暦と対立する暦書ではなく,両暦博士は宣明暦をどのように理解し運用するかを争論していたのであった。

11世紀以降の争論は,暦道(賀茂氏)が作成した日月蝕予報に,宿曜道・算道が異を唱える,という構図に変わる。たしかに暦道は,しばしば予報を外し,宿曜道・算道に敗れることもあった。しかしそれは,思いがけず蝕が現れることを回避しようとした結果であり,むしろ暦道は,宿曜道・算道よりも宣明暦ないし暦学そのものに習熟していたことが想定される*。<*報告要旨文責:吉田拓矢氏>

 発表後の質疑応答では、これまで“大春日氏と葛木氏・賀茂氏との論争”として理解されがちであった古代暦道の実情認識についての意見、また大春日氏が使用した『会昌革』が何らかの形で現存しているか否かについての質問、宣明暦法の計算方法や日食予報の出し方についての質問が出た。

 次いで湯浅吉美氏は「具注暦原本調査の経験から― その着眼点と留意点 ―」と題して、湯浅氏自身の調査経験をもとに、古代・中世の具注暦原本が何故今に遺るに至ったか、そして実地調査においての注目すべき点、また調査時に注意しなければならない点についての解説がなされた。

 具注暦は、貴族や僧によって日記が書き込まれた事、また紙背が再利用された事が現代にまで残る大きな理由となった。そして年代特定が容易であり、特別な事情がない限りはほとんどが原本であるという、「史料としての具注暦」の特徴について説明があった。

 続いて4つの具注暦原本調査例を基に、残存状況と経緯、さらに紙背文書に記されている文書の内容などの各種特徴について、調査時のエピソードも踏まえて紹介された。

 締めくくりとして、原本調査時に用いる道具に関する注意点、状態や時代の判定基準となる部分の見方といった、実地調査における留意点について、氏の豊富な経験と共にアドバイスがあった。

 質疑応答では、断片的な形で残っている具注暦の場合の年次判定方法についての確認や、現存する具注暦は暦道を司る賀茂氏以外に作成者はいるか、また後年に流布する「仮名暦」にも具注暦の調査方法が使えるかといった質問が出た。

 吉田・湯浅両氏による研究発表の後、細井浩志氏による総括があった。そこで細井氏からは発表者への質問がなされ、まず吉田氏に対しては日本で採用された宣明暦と本来の宣明暦との相違や会昌革との関係性について、延喜十八年の日食廃務不可の件、そして賀茂氏の学問の性格について意見を求めた。湯浅氏に対しては、暦注が書写される際に暦注と行事との関係を重視する可能性について、また暦に使う料紙の種類や時代性、具注暦本体の年次と後年の箱書の齟齬がなぜ起きたかといった質問を挙げ、発表者による回答があった。

 

最後に総合討議があり、そこでは『会昌革』についての意見のほか、宿曜道や算道と、暦法との関係、宮中の女房達の手に如何にして暦が渡ったかについて、さらに中世賀茂氏の日月蝕推算に関する質問や、暦注を巡る論争は起きたのか否かといった質問が出されて、発表者がこれに回答した他、参加者からも様々な意見が出されて活発な議論が展開された。