日時:2018年9月1日(土) 10:30-17:30
場所:京都女子大学 J校舎
テーマ「安倍晴明像の再生産と変容」
10:40-11:40 細井浩志氏「古代の晴明像の発生」
11:40-12:40 休憩
12:40-13:40 赤澤春彦氏「中世の晴明像の再生産と変容」
13:45-14:45 梅田千尋氏「近世の晴明像の再生産と変容」
14:50-15:50 小池淳一 氏「近代の晴明像の再生産と変容」
16:00ー17:15 質疑応答・討論
17:15-17:30 連絡事項など
参加者 31名
■参加記
第6回「陰陽道史研究の会」参加レポート 木下琢啓
2018年(平成30年)9月1日、京都女子大学にて第6回「陰陽道史研究の会」が開かれた。今回は「安倍晴明像の再生産と変容」というテーマで、歴史上の実在人物である安倍晴明が、如何にして新しい“人格”と“プロフィール”を付加・獲得し、伝説化していったかについて、細井浩志氏(古代)、赤澤春彦氏(中世)、梅田千尋氏(近世)・小池淳一(民俗学)の各氏によって紐解かれていった。開会・閉会の挨拶は斎藤英喜氏が、各発表後と全発表後に設けられた質疑応答部分は林淳氏が司会を務められた。
まず細井浩志氏は「古代の晴明像の発生―伝説の陰陽師の実態と転換期の陰陽道―」と題し、平安中期に実在した安倍晴明その人が如何なる出自・業績を持つ人物であったか、そして晴明自身の行動自体にも後の「伝説化」へとつながっていく一因があったのではないかという事を、各種の記録史料から読み解いた。
陰陽師としても遅咲きであった晴明が何故陰陽道の中で台頭し得たか。それは師家である賀茂氏とのつながりを最大限に利用した事、また晴明自身による業績喧伝活動、そして長命であったこと等が関係しているのではないかという事であった。
発表後の質疑応答では晴明が大成させたといわれている泰山府君祭と晴明との関係、太一式盤が安置されていたという仁寿殿で、果たして陰陽師は実際に太一式占を行ったのか、という質問が出され、議論がなされた。
次いで「中世における安倍晴明像の再生産」と題し、赤澤春彦氏が登壇した。
12~13世紀に集中して創造された晴明説話は、当初は超人的な能力を持つという事を強調するような内容ではなかったが、やがて仏教の影響をうけて次第に超人的な晴明像へと変貌していった事、また晴明五代後の子孫である安倍泰親が積極的に晴明の名を利用して、安倍氏が正当な陰陽道を受け継ぐ氏族であるという宣伝材料に使っていた事を史料より読み解いた。
発表後の質疑応答では、晴明が陰陽道の代表格として取り上げられるようになったタイミングについての質問や、泰山府君祭の意義変化に対する発表者の意見などが求められた。
近世担当の梅田千尋氏は「近世の晴明像の再生産と変容」と題し、近世陰陽道組織による晴明像の形成についての研究発表となった。
近世、陰陽道支配権を獲得した安倍氏土御門家は、おおよそ50年ごとに「晴明霊社祭」を斎行するようになった。遺された記録を見ると、同家はこの祭を利用して元晴明邸宅地取得の試行、晴明所縁の地設定、さらに参拝者に霊宝を公開するなどの興行的要素を持ち、対外的宣伝活動の場に利用していた事がわかるという。そしてなによりも、配下の陰陽師に対しては祭の費用徴収や、講を組織しての土御門殿への参拝を指示する事で、本所である土御門家と配下の陰陽師からなる陰陽道組織の関係確認と連携強化の場でもあったという事であった。
発表後は主に感想が述べられ、晴明霊社祭開催に渋川春海の尽力があった事や、「福寿講」寄進の井戸が未だ土御門家菩提寺・梅林寺に遺されているという情報が提供された。
最後に、小池淳一氏が民俗学の視点から「晴明像の再生産」の考察を発表した。「近代」だけにとどまらず、「現代」における晴明像の再生産をも包括した内容の発表であった。
氏はまず「セーマン、セーメー」「ドーマン」を最初に取り上げ、何故その呪符が晴明を連想させるものとなったか、そして呪力の喧伝にはいかなる歴史があったか。「晴明」という語が持つ力の淵源と流布については、更なる研究が積み重ねられなければならないと課題を提起した。
次に晴明と狐との関わりについて。晴明伝説の中では狐よりも少年期の晴明が主人公である事に注目。少年晴明の冒険譚は現代における晴明像が「美貌の青年」という見た目になっている根源にではないか、と指摘した。
締めくくりに、現代の晴明像として夢枕獏『陰陽師』シリーズを例示した。同作は中世以降に流布した晴明伝説とは異なり、神聖性も史実性もない。しかし、「若さ」と「逸脱」という自由なイメージで描かれた晴明像は現代社会に見事にフィットし、理想的な晴明像として受け入れられた。我々は「現代の晴明伝説」創造の現場にいる目撃者なのかもしれない、という事で話を終えられた。
質疑応答では、現代における晴明ブームは「世相への不安」を癒す存在として求められたのではないかといった意見が出された。
最後に各発表の後、発表者間での質疑応答があり、安倍晴明は本来賀茂保憲の弟子であったにもかかわらず、何故説話では保憲の父・忠行の弟子として登場するのかといった質問や、安倍泰親に関する質問、密教修法が陰陽道祭祀に与えた影響と時代変遷に伴う変化などを巡って質疑応答・意見交換が行われ、本会は終了となった。
「陰陽道史研究の会」も今回で第6回を迎えた。会への参加者も、陰陽道の研究者だけではなく、古典文学や災害史・芸能史研究者など他分野の研究者も聴講に来られるようになり、斯道研究分野もようやく広い認識が得られるようになった事を実感した。
また会の内容や質疑応答も、回を追うごとに洗練され、厚みを増して来た。会の今後の発展を期待する。