2017年10月11日水曜日

2017年9月第4回陰陽道史研究の会記録・参加記

日時:2017年9月10日(日)  10:45~17:45    (懇親会18:30~)
場所:京都女子大学 J校舎302教室 (下記交通案内参照のこと)

テーマ:「中近世陰陽道の展開」
10:45-12:00 鈴木耕太郎氏「暦神・牛頭天王とその信仰」
12:00-13:00 昼休み
13:00-14:15  星優也氏「『妙覚心地祭文』の宗教世界―冥道・陰陽師・弘法大師―」
14:20-15:35  野口飛香留氏「南北朝期公家社会と官人陰陽師」
15:40-16:25 詫間直樹氏「近世の行幸・御幸と反閇」
 共通討論 16:30-17:40

参加者 28名

■参加記
第4回「陰陽道史研究の会」 参加レポート
木下 琢啓

2017年9月10日、京都女子大学において第4回「陰陽道史研究の会」が催行された。
今回は「中近世陰陽道の展開」をテーマに、鈴木耕太郎氏・星 優也氏・野口飛香留氏・詫間直樹氏の4人の研究者による発表が行われた。
まず鈴木氏は「暦神・牛頭天王とその信仰」と題し、『簠簋(ホキ)内伝金烏玉兎集』巻一に記される牛頭天王由来譚は、既存(祇園社祭神として)の牛頭天王神話が“読み替え”によって変貌した「新しい神話」(中世神話)であるとし、同譚は「暦と方位の神話」と解され、牛頭天王も暦神という一面を持つに至ったと指摘した。また『簠簋内伝』が由来譚と暦注部と一体である「暦注書」である事や、牛頭天王に対する信仰が密教や陰陽道(特に泰山府君)を超克するだけの影響力を持っていたのではないかという示唆もなされた。
牛頭天王由来譚を“読み替え”という特徴を持つ中世神話の視点から理解する事で、『簠簋内伝』を作り上げた非陰陽寮官人達の信仰世界が中世陰陽道の一端を担う存在にまで高められていた事を明らかにする意欲的な発表であった。
次いで星氏による「『妙覚心地祭文』の宗教世界―冥道・陰陽道・弘法大師―」では、伝・弘法大師作とされている『妙覚心地祭文』の中で、冥道・星宿への帰依に陰陽師の存在が必要であったと記されているという氏の理解を基にして、冥道・星宿の祭祀者としての陰陽師の重要性と、密教世界の中に陰陽道の思想・信仰がいかに深く吸収・浸透されていたかについて論じられた。ただ、密教には占星術を修めた宿曜僧がおり、冥道諸神や星辰への信仰が独自に存在する。彼らの存在がありながら陰陽師を必要不可欠とし得るのか、また同祭文における「陰陽師」は「陰陽ノ師」とも読むことが出来る所から、これが果たして陰陽道を奉じる者である所の陰陽師を指すのかという疑問が残り、今後の研究深化が期待される。
野口氏の「南北朝期公家社会と官人陰陽師 ―北朝との関係を中心に―」。中世、特に室町期に活躍する事となる陰陽師達の背景に、南北朝動乱期において持明院統と北朝側への積極的な奉仕が大きく関係している事、そして当時陰陽寮官人氏族の主流となっていた賀茂・安倍両氏内部での勢力争いの激化を取り上げて、中世陰陽道を支える事となった陰陽師達の「栄達の鍵」が混乱期における活動にかかっていた事を、諸史料提示のもと説かれた。個人的に、陰陽師社会中における序列(特に「陰陽道第一者」の呼称)について興味を持っている身として、大きな関心を持って拝聴した。
最後に詫間氏が「近世の行幸・御幸と反閇」と題され、江戸幕府による朝廷支配や財政的逼迫などの問題を抱えながらも、天皇の行幸・御幸といった移動時に行われる反閇作法が原則的に行われており、近世においてもなお朝廷儀礼の中で陰陽師の活動が欠かせないものであった事を示された。また反閇は必ず陰陽頭が行う事も踏襲され、条件により簡略化される事もあったが、近世まで陰陽道儀式の威儀は守られ、必要とされ続けた事を丁寧に説明された。
各自発表の後、参加者ひとりひとりの自己紹介があり、共通討論へ移った。質問では、まず中世陰陽道に関する各発表者に対して、鎌倉から南北朝を経て室町へと移りゆく中世の中で陰陽道がどのような位置づけにあったかについて問われた他、中世には『暦林問答集』など陰陽寮官人の手による著書が出されている中で、非陰陽寮官人の作と思われる『簠簋内伝』はどう関わりをもったか、という質問や、吉田神道との関わりについての質問・感想が出された。詫間氏発表に関するものでは、近世陰陽道を一つのまとまりとして捉えてよいのか、時期ごとに区分する必要があるのかといった質問が出され、活発な議論が展開された。